あれから16年の月日が流れました。
しかし、いまだに普賢岳の土石流・火砕流の映像は忘れられません。
そんな雲仙の災害対策本部が、生活安全課へ変わるとの事です。
本当に良かったと思います。
今回は、H20・5に雲仙を訪れたことを交えながら書いていきたいと思います。
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●6月30日(毎日新聞)
44人の犠牲者を出した長崎県雲仙・普賢岳災害(90〜96年)の被災地・島原市の災害対策課が30日、最後の業務を迎えた。市の機構改革で7月1日から生活安全課に改称される。92年の災害復興課発足から16年間にわたり、防災の最前線に立ち続けてきたが、市機構から「災害」の文字が消えることになった。
普賢岳は90年11月、198年ぶりに噴火し、91年6月の大火砕流では地元消防団や報道陣ら43人が亡くなった(93年にも火砕流で1人死亡)。島原市は92年1月、それまでの市民課防災係と企画課被災対策班を統合して災害復興課を発足。99年には災害復興課と防災課を統合して災害対策課とし、被災者の集団移転、市義援金基金の運用、災害記念碑建設などを担当してきた。
(ここまで)

この雲仙がある島原市は、とても歴史が深い町であります。
その昔、天草四郎が幕府軍と戦った「島原の乱」の舞台でもあります。
島原城に行ったのですが(上記写真)、天守閣までの各階が、歴史上の展示物が置いてあり、とても興味深いものでした。

そして、島原市といえばやはり、噴火を繰り返す活火山である雲仙普賢岳が有名です。
その火山活動について知りたい方は、ぜひこちらへ行かれることをおすすめします。
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雲仙岳災害記館・
平成新山ネイチャーセンター私は、上の「雲仙岳災害記念館」に行ってきました。
歌舞伎の手法を取り入れた最新鋭の昔話「島原大変シアター」や、直径14mのドーム型スクリーンで災害を疑似体験できる「平成大噴火シアター」など、お子様でも充分楽しめます。
また、雲仙の溶岩ドームは、なぜあんなに大きくなるのか??など、火山についての色々な知識も学ぶことが出来、とっても勉強になりました。

写真は、実際に土石流によって埋まってしまった民家です。
その中でも、やはり残念でならないのは、43名の犠牲者を出した1991年6月3日の火砕流についてです。
ご存知の方も多いかと思いますが、無くなった43人のうち報道関係者が16名だったこと、その他大勢の方がこの報道関係者のために火砕流の被害にあってしまったという事実です。
これらの報道関係者が、火山という自然災害をもっと慎重に受け止めて、判断すれば報道関係者によって巻き添え食た人々の命は助かっていたということです。
これについては、地元の方々の間でも、報道関係者がいけないのはもちろんのこと、行政がもっと取り締まるべきだったのではという、意見も出ているようです。
これからも、火山とともに暮らしている私たちは、このような場面に立ち会うことがあると思います。
そのときには、二度と同じ過ちを犯さないでほしいです。

上の写真が平成新山です。
1990年の噴火が起きる前までは、写真を撮っている普賢岳の頂上の方が高かったんです。
ところどころに蒸気が上がっているのが、写真で見えるでしょうか??
この水蒸気と溶岩ドームの生い立ちを見ていると、その場に立ち尽くしていました。

しかし、あの火砕流が流れていった斜面にも少しずつですが、緑が戻ってきていました。
その緑を見ていると、とってもホッとして、自然の素晴らしさを感じさせてくれました。
みなさん、ぜひ、島原に足を運んでみませんか??
島原は、水の都でもあり、水はおいしく、海もあるので魚介類もおいしいです!!
そして、何といっても素晴らしい自然があります。
そんな島原をお勧めします!!